Alberto Ruz Lhuillier  
●USS
/UFO科学大学院   

  (
ルベルト・ルス・ルイリエール 1906.1/27〜1979.8/25   フランスのパリ生まれ キューバハバナ大学社会学専攻 言論活動・編集活動で逮捕され6か月間も刑務所に投獄されました。

  その後 メキシコに脱出してメソアメリカ文明の優れた遺跡に出会い独学した後 創設されたばかりの国立人類学歴史学院<ENAH>にて メキシコの考古学を学習・研究しました。

 
立メキシコ自治大学<UNAM>で博士号 カンペチェ州考古学主任 現地の発掘調査等を科学的に分析する過程で マヤ文明の実態を具体的に解明し従来の学説にとらわれずに発掘や調査分析で判明した事実のみを重視していった。
 
  1949年〜1958年にかけて
パレンケ遺跡の発掘調査を実施し その遺跡の調査中に内部へ深く通じる通路をを見つけたが 通路はぎっしりと土や石が詰め込まれており 4年かけて除去作業を実施し 階段の一つひとつを調べるうちに石室を見つけ その周辺には 5〜6人の人骨を確認 さらに玄室を見つけました。
 その左側の三角形の石扉を開けたところ
カル:Pakal王の遺体が入った石棺を発見しました<1952.6/13>。

  石棺には 十字の生命樹のレリーフとマヤ文字が刻まれ分厚い石の蓋がされていた。 その蓋を取るとヒスイが散りばめられ金砂がかけられた人骨があった。
 これが
パレンケのパカル王墓でした<The Civilization of the Ancient Maya.1957 「古代マヤ文明 1970」>。


                                               
 
 パカル石棺の蓋には レリーフでヘルメットを装着し 宇宙船に乗り 操縦かんを握りしめた宇宙飛行士の人物が 描かれており 国際的に大変に注目されました。

  科学者の中には 直ちに否定にかかる人もいましたが
A.ルス博士は 「いずれにせよ きちんとした証拠や証明なしに結論を急ぐべきでない」としました。

  その背景には マヤ文明における異常なまでの科学水準の高さと 今もって その文明が どのようなきっかけで高度に発展したのかが 判明しないという知的レベルの問題---人類をはるかに超えた実態が 解明できない 科学者たちの限界が 見えたからでした。

  いずれにしてもパカル王の発見は マヤ文明への国際的な関心を高め 注目されるきっかけとなりました。

 さらに 
現代の科学水準にも匹敵する度の数学や天文学
    
ゼ 古代マヤに芽生え発展したのか等の新たなる研究へと科学者たちの発掘・調査分析へと展開することとなりました。


  
ルベルト・ルス博士は 研究だけではなく 啓蒙啓発活動にも情熱を注ぎ 次の世代へ若い青少年たちに分かりやすい解説の付いた本などをたくさん出版されました。

  また 人権や言論の自由等の大切さや科学的研究の重要さも訴えました。

  具体的には スペインとの侵略戦争で多くの犠牲者を出した悲惨な状況を 発掘現場の体験から論理的に分かりやすく 国
民に紹介してきました。

 
ヤ文明のすぐれた遺跡群を解説しつつ その持つ真相を語り マヤ人の自らの手で破壊された遺跡を復元し 民族学的人類学的価値ある遺産として 向き合うよう問題提起された教育者であり 研究者であり 人権思想を基本とした とても謙虚でユーモアのある姿勢に 多くの学生や市民・研究者たちに尊敬された方でした。



                 
  
A.ルス博士は 立メキシコ自治大学教授 マヤ研究センター<Center de Estudios Mayas>所長
  マヤ学術誌のEstudios de Cultura Mayaを創刊  マヤ文明研究所長 国立メキシコ人類学博物館理事長  考古学
 
パレンケ王遺跡の発見 メソアメリカ文明学 文化人類学 
 マヤ文明学  パレンケ学
  UFO科学大学院名誉教授 )


 


     国立メキシコ自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico= UNAM 1551.9/21創立 ノーベル賞学者数名います)で博士号を取得したアルベルト・ルフ博士は この大学で人類学や考古学等を学び研究して優れた業績等を多数残されました。 



    アルベルト・ルフ博士は パレンケ碑文」の前に建てられています。






■ 
マ ヤ  天文学  数 学              

                  


      古代マヤ族の起源は 現在も不明なままです。 彼らの数学は きわめて驚異的な数学の体系を理解していました。

  
の概念を含む位どり表記法を用い20進法を基本としていました。

 
マヤは 膨大な単位を持つ計算を処理し 現代の天文学や数学と同レベルの高精度の計算を可能とし地球の公転周期を365.2420日としました。
 これは現在の暦の水準とほぼ変わりません。

 
 
   マヤの起源は BC.3114年です。 

   マヤの天文学は 常に専門の職員が配置されていて太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星 さらには プレアデス星団までも観測していたことが明らかになってきました。
  天体望遠鏡のない時代に 彼らは どのようにして超厳密な観測データを入手していたのでしょうか。
  いまだ この問題はナゾのままです
。 

   以上のの観測データと現代天文学との誤差は ほとんどありません。驚異的な厳密さで計算されているのです。 

  
ゼ マヤ文明の方々は 5000年前から 億の単位ゼロを知り少数点以下の計算を知っていたのでしょうか。

  
しかも マヤの方々は どこから来たのか。 どこへ消えてしまったのかまで不明なままなのです。

  1960年に カデミーは 大規模なユカタン半島の遺跡調査を実施し かなり傷んだ古文書を発見し 修復して解読した結果 次のような内容だと発表しました。

 
 のような明るい船に乗って白い色の人たちがやってきました。 彼らは しばらく この地に住んでいましたが 故郷のことで また星の船に乗って帰って行った。との文面であったと公表しました。

  もし この通りの歴史的事実が あったとすれば 知的生命体が 超古代において地球文明に深く関与してきたことは明確になってきたといえます。
  ここで一番大事なことは 事実だけを重視し真相解明に先入観や自分の価値観等の考えを持ち込まないことです。
 一定の常識とか 絶対にあり得ないと決めつけたり  これまでの集積してきた情報のみに左右されず 常に冷静に真実だけを明らかにすることではないだろうか。


  
 マヤ文明の天文台で最も知られているのは BC.1000年に建設されたチチェン・イッツァラコル天文台です。
  円筒形の建物で直径は 約10mで内部には らせん形の階段があり 頭頂部に通じています。

  しかし 今でも 現代天文学の水準に劣らないという高度の観測データが このシンプルな天文台からは想像しがたいと ほとんどの方々が 指摘しているのも事実です。

  恐らく この建物だけで観測したのではなく 別な高度に開発された観測機器も あったとしたら納得しやすい。 であるならば 以上の実態をどのようにして証明するかです。


  
みなさんも じっくり考え 思考実験等をすれば 何かに気づくかも知れません。


USS(UFO科学大学院)では
  
ルベルト・ルフ博士やMAYAハイテク文明に関する資料等のほかに 研究論文 発掘調査報告書等の膨大な資料等が 集積されております。

 科学的ないし未来科学アプローチで学習し研究を進める方々にとって とても 大事で貴重な資料ばかりです。

 
ハイテクで 高度に発達したマヤ文明は いつたいどこから来たのかな。

 地球文明
レベルをはるかに超えた このような脅威なる知性とテクノロジーをものにしていたユカタン・エリア超ハイテク文明実態を一緒に解明してみませんか。

  
皆様の連絡 お待ちしております。 









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